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2012年4月25日水曜日

運転免許切り替え騒動

労働許可付きの滞在許可証(学生・ワーホリ除く)を持っている外国人への特権として
自国の運転免許証をフランスの運転免許に切り替えができる制度がある。
フランスでは免許証の更新がない。そして、EU圏内でそのまま運転ができると言うメリットもある。

ただし条件がある。
一番最初の滞在許可証所持中(通常1年間)
かつ
滞在半年以上

つまり、一般的にはフランス入国半年以上一年未満のうちにその手続きを行なわないと
その権限は失効してしまう。

私の場合ちょっと特殊な例で、新しくゲットした滞在許可証の期限が若干半年に足らない4月末日で切れてしまうためギリギリのタイミングの先日手続きに行くことにした。

手続きは、18区の警察署。学生の滞在許可証申請・更新の場所と同じ。
運転免許切り替えに必要な資料は以下とHPでも確認。
*自国の運転免許証のオリジナルとカラーコピー2部
*運転免許証のフランス語翻訳(大使館もしくは法廷翻訳に限る)
*証明写真2枚
*滞在許可証オリジナルとコピー2部(パスポートでも可能)
*居住証明になるような直近3ヶ月以内のEDFのファクチュールもしくはAttestationなど
*申請用紙

翻訳のお願いで大使館に先日で向いたとき
「パリでの申請は最近厳しくなって、翻訳のほかにレター(確実に証明してますと一筆)をつけないとつき返されるから、レターも添付しておきましたよ」と言っていた。


書類も点検し完璧な状態で午前10時に警察署へ。
すると、運転免許申請フロアはすでにカオス状態。私のように切り替えのガイジンもいるだろうし、一般のフランス人もたくさんいる。
第一関門の受付にて、持参した資料をチェックしてもらう。

受付の人に
「住居証明でアナタの名前のものはないの?」と聞かれる。
そう、EDF(電力会社の住居証明)の名前は夫君の名前である。銀行や家は共同名義だが、そのたもろもろは夫君の名前で登録しているのだ。

私「夫君の名前で支払っているから、私の名前の証明書はないよ」
受付「アナタの名前の居住証明がないとダメです。働いているなら給与明細とか、家族手帳でも良いわ」
私「必要書類に書いてないから持って来てない!!!!ココ(HPをコピーした紙)に書いてないでしょ!」と押し問答。結局受け付けの人に「マダム、ダメなのよ、義務だから」と。
今まで滞在許可証の申請でも居住証明はEDFで問題なかったのでいささか不服だったが、仕方ない。
何時まで受付しているか聞くと、「16時までやっているけど、人が多いのでその日のうちに申請ができるかどうかわからない。できれば他の日に、朝8時半からやっているから朝一番、もしくはお昼までに来て」とのことだ。その時点で10時半。
来週末には滞在許可証の期限が切れてしまうし、なんとか取れた平日の休み。もう休みなんて取れない。今日中に申請しておかないと、運転免許を取得するのに何十万も払ってフランスで自動車教習所に通わなければならなくなってしまう。
これは意を決して給与明細を自宅に取りに帰ることにした。
家から18区の警察署まで片道45分。どう考えても正午までは無理だけどできるだけ急ぎ足で頑張ってみる。

自宅で必要とされそうな書類一式のコピーを取ってマッハで警察署へ。
なんとか12時15分に到着。

すると、さっきより人が増えている。
第一関門の受付には30人くらい並んでいる。
やっと順番がまわってきたら、受付の人は「さっき来たよね?」事の顛末を話したら笑いながら「じゃ、給与明細だけ見せて」と言ってすんなり受け付け番号をもらう。

この時点で12時半はとっくに過ぎている。この日何も用事がなければあとは手持ち無沙汰ながら待つだけなのだが、日本から知り合いが来ていて14時から観光に付き合うRDVがあったのだ。

さすがに14時の待ち合わせには間に合わないだろうと一足先に電話で時間と場所変更を告げる。

待てども、待てども、番号札の順番がなかなか回ってこない。。

結局最終的に16時過ぎに順番が回ってきた。

その場で再度資料提出。写真は2枚と記載してあったのだが、「写真は4枚です」と。。
持っていたからよかったものの、予期しない必要物が次々と出てくる。フランス名物と言っても過言ではない。

最終チェックが終わって「アナタの資料はすべて許可されました。免許証引き取り証を郵便で送るのでまたそれを持って来てください」

その場でもらえるわけでもなく、警察を出られたのは16時半過ぎ。


県によってはその日のうちに手渡してくれるところもあるそうだ。(ブローニュなど)
パリは人口が多いだけに時間がかかるのは仕方がないのかもしれない。


お昼も食べられず、ロビーにあった自動販売機の40サンチームのコーヒーでやり過ごした一日。
どっと疲れが出た。

2012年4月18日水曜日

パリ観光してみる?

pâque(イースターまたは復活祭ともいう)の休暇を利用して隣国に住む姪っ子がパリに来た。
目的は観光ではなくいわゆるスタージュだったのだが、日曜日のみ観光に付き合って欲しいということで
一緒に観光することにした。

行って見たいところ
*オペラ座(オペラ・ガルニエ)
*ルーヴル美術館
*凱旋門

朝10時にオペラ・ガルニエの正面で待ち合わせ。

10時からオープンしているガルニエ内を見学。

朝一番のため、見学者もさほど多くないのでゆっくり見られる。

実際劇場内も見られる。

天井には有名な「マーク・シャガール」の絵

ここで観劇する場合
1.パリ・オペラの公式サイトにて会員登録後チケットを購入する。
2. 劇場窓口で直接購入(14:30~18:00)
3.劇場へ電話にて購入
ちなみに一番安い席は7~9ユーロ。直接窓口で購入するしかない。
しかし、実際は舞台が見えない(実体験済み)

インターネットで完売表示が出ていても、窓口に出向いて空席があるかどうか聞くと空いている場合がある。どうしても見たい演目の場合はあきらめずに直接聞くことをおススメする。(実体験済み)

さて、次はルーヴル美術館。
キリスト教の国々はどこもイースターの休暇中とやらで、日本や中国などのアジア系観光団よりヨーロッパからの観光客が数多く見られた。
第一日曜日の無料開放日に匹敵するほどの観光団でチケット売り場もカオス状態。

こういう時はまともに行列に並んじゃダメ。知る人ぞ知る裏の小さな入り口から入る。
案の定、並んでいる人は皆無。

ルーヴル美術館は26歳以下のEU圏在住の学生は無料
姪っ子にも「学生証と滞在許可証持ってきてね」と言っておいたのでその恩恵を受けることに成功。

あの迷路のような美術館内をモナリザやミロのヴィーナス、サモトラケのニケなどなど美術の教科書には必ず載っているような数々の名作を追って歩き回る。

何度も訪れたルーヴル美術館だが、今回印象に残ったのはナポレオン3世のアパートと呼ばれる部屋の数々。
こんな食卓で毎晩豪華な食事が振舞われていたのだろうか・・・。


途中休憩をはさみはしたが、どれだけ歩いたのかかなりお疲れな私たち。
見るべきものは見たので、メトロに乗って凱旋門へ。

普段は、登るのにもチケット売り場ですんなりチケットが買えるのに、この日はなぜか長蛇の列。さしてピーカン天気ってわけでもなく。やはりイースター休暇を利用してやってきたヨーロッパ人たちが目立つ。
それを見て、姪っ子も「これだけ見られたから十分」と。さすがに散々歩いてまた登ってはさすがにキツイ。

最終的に、シャンゼリゼのラデュレでケーキを購入、自宅でまったり過ごすことに。


しかし、このケーキ屋でも長・長・長蛇の列だったのはいうまでもない。。

2012年4月7日土曜日

見世物小屋展

見世物小屋。
日本では「浅草花やしき」がその前身であった。。

いわゆる奇人だとか障害者などを小部屋に居座らせ、一般客にその様子を見せるという・・

今の時代からすると「超差別的アトラクション」である。

その昔、パリでも同じようにこの見世物小屋が存在しており、市民の目を楽しませていたのだとか。。


その見世物小屋展というのがケ・ブランリー美術館で期間限定で行なわれているので行ってきた。

写真や絵画、映像、ポスターなどありとあらゆる展示があり、最終的には
人種差別はよくない」と警鐘をならすような内容であった。

数百年前は同じヨーロッパ人でも見た目が「ハンディキャップ」と言われる人たちが中心だったが
植民地時代を迎えると、アフリカの植民地から多くのアフリカ人をパリに「見世物」として連れてきた。
写真や映像によると、まるで動物園のように彼らの生活エリアを柵でくくってその中に住まわせ
その生活スタイルを柵の外でパリジャンがまるでぞうやきりんを、見るような状態で眺めるという。。
まったくもって失礼な話だ。

とある映像では、アフリカ人に足環をつけ、民族衣装&民族ダンスを舞台上で踊らせるとか。。それも調教のように横柄な態度で指示して・・。

アフリカの唇に手のひら大の大きさの木型をはめている原住民も見世物として連れてこられたようだし、タイの首長族(首に何十もの輪っかをはめている原住民)も珍獣扱い。

まぁ、日本のテレビ番組でも「世界びっくり人間ショー」なんてものもあったので、世界的にそういう風潮はあったのだろうけど。


中国人や日本人も当然奇人扱い。。

ポスターでは「日本のマジシャン来る」なども見受けられた。

見ごたえ十分だったが、おぞまし過ぎて写真に撮るのも躊躇われた・・。

最終コーナーでは「差別」についての問いかけ。
「ハンディキャップ」の人はもちろん、「宗教」とか「ホモセクシュアル」とかで差別をするのは
良くないと投げかける映像で締めくくられている。

2012年4月3日火曜日

救急車の世話になるの巻

先日仕事中に怪我をして救急車を呼ぶ騒ぎになった。


ケーキナイフの陶器でできた柄が握っている最中に割れ、右手指関節部損傷。
傷が深く、出血が止まらなくなり、シェフがこれでいくらか血が止まるだろう・・と

たばこの葉」を傷口にあてて、さらに薄いペーパーとラップでぐるぐる巻きにして対処。

救急車到着。

こちらではおおまかに3種類の救急医療がある。
1.ポンピエと呼ばれる「救急医療&消防団の役目」の隊員
2.救急医療のみの病院付け救急隊
3・SOSメディサンと呼ばれる出張医療

私がお世話になったのは1のポンピエ。
TELから3分程度、サイレンを鳴らしてやってきた。

筋肉隆々の屈強な消防隊員3名がエスコート救急車内で応急処置してくれる。
傷口をまずは消毒。
「なんだこれは!!」とタバコの葉を見て怪訝な表情。

「タバコの葉です・・」

「ダメだよ、何でそんなことしたの?」

「私じゃない!同僚が血止めにってやってくれたの・・」

「ダメダメ」

といって傷口に入ったタバコの葉を丁寧に取り除いて消毒。ギャー痛い

いざ病院へ。

消毒中に、滞在許可証の提示を求められ、住所、電話、家族、事故時の状況など一通り聞かれる。
それに基づいて搬送先の病院へ連絡を入れてくれる。

こういうとき滞在許可証がなかったらどうなるんだろうか、と考えるとゾっとする。

一人は運転、一人は助手席、そして一人はつきっきりで話し相手になってくれる。
日本人ってことも珍しかったのか、いろいろ聞かれる。

このポンピエと呼ばれる消防隊員はフランスではナンバーワンと言っても過言ではないくらい
市民に愛されている職業の人たち。人命救助のスペシャリストであり、さらに気さくで感じも良い。

病院到着。
ケガは指だけなのに、車椅子に乗せられる・・。(多量出血で貧血の可能性が?)
久々の車椅子・・。で救急受付まで付き添ってくれる。

付き添いはここまで。「サヨナラー」と教えたニホンゴで挨拶。

ここからは一人ポツンと車椅子で治療まで待つ。

お財布と携帯の入ったバッグのみ持参で着の身着のまま来てしまったので、ココに来て、とんでもなくみすぼらしいことに気が付く。

救急なのに2時間待ってようやく治療。。

個室に通され、感じよくない先生に状況を説明する。

「今から縫うからこっちを見ないで、そっちの壁をずっと見てなさい」

と指示される。

状況はわからないが、麻酔が痛かった。
その後、数針縫って治療完了。

診断書、ドクターストップの診断書、社会保険提出用書類、処方箋、治療の注意書、抜糸の案内等をもらってバーっと説明して修了。

帰ろうか、と思ったとき、ふと「お金払う場所ないな・・」と不安に。

近くにいた看護士さんに聞くと「お金は払う必要ありません」とのこと。


毎月高いけど・・払っていてよかった社会保険。

帰ろうと外へ出ると、病院が巨大すぎて自分がどこにいるかわからなくなった。

どうにか道路へ出て、賑やかな通りに出ると、そこは「パリ」じゃなかった・・・。


帰るのは自力で。駅を探すのに一苦労した・・。


・・・10日後

抜糸をするのは病院ではなく、「cabinet d'infirmier(e)」と呼ばれる看護士のキャビネで行なう。
ここでは、予防接種なども行なっているようだ。

近所の薬局で看護師のキャビネを紹介してもらいまずはTELにて予約可能かどうか聞く。
特に予約しなくてもそのまま直接来てください・・とのことだったので当日直接出向くことにする。

個人開業医のように一般のアパート内に存在しているが数はさほど多くなく、たいがい営業時間も短い。
私が訪れたのは、午前中のみと、午後は18:30~19:30の1時間限定。

マダム先生に病院からもらった書類を渡し、早速抜糸。
小さいピンセットとはさみで処置。ちょっと引きつられて痛いぞ。

抜糸終了後、保険金請求の用紙を書いてもらって完了。

しかし、今だに傷口に物が当たると痛い・・。